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ワトスン君の創傷治療

シャーロック・ホームズの相方、ジョン・H・ワトスン氏は軍医の経験のある開業医でしたが、実は理にかなった治療をする名医だったに違いない、という馬鹿な考察です。ややネタバレ。

私は小学生の頃シャーロック・ホームズを愛読していましたが、今でもけっこう好きで時々読み返しています。

コナン・ドイルについて

シャーロック・ホームズシリーズの作者コナン・ドイルは1876年から1881年までエディンバラ大学で医学を学び、在学中から捕鯨船の船医として経験を積んだ後、診療所を開いたそうです。しかし診療所はふるわず、ドイルは患者を待つ間に小説を書きためていたと言われます。

最初のシャーロック・ホームズ作品「緋色の研究」は1887年に発表されましたが、ドイルは1890年に眼科を学び、翌91年にはロンドンで眼科専門の診療所を開いたそうです。しかしこれも開店休業状態で、ついにドイルは小説家として生活することを決心したそうです。

そんなわけで作品にもドイルの医学知識が顔を覗かせ、ホームズの相棒である医師ワトスンが腕をふるう場面もあります。“石炭酸”なんて聞いたこともない名前が出てきて、19世紀英国の医学事情の一端に触れる思いをするというかなんというか、子供心のリアリティに訴えて、良かったんですよ、これが。

親指欠損の治療

今回思い立って読み返してみましたが、石炭酸は「技師の拇指」事件ですね。親指を切断された依頼人を、ワトスンが治療する場面です。

拇指のあるべき場所は見るも無惨な、まっ赤な海綿状を呈しているのだ。叩き切ったか捻じ切ったか、とにかく根もとから拇指はなくなっている。
「ほう、これはひどい!ずいぶん出血したでしょう。」
「ええ、かなり出ました。やったときは気が遠くなりました。そしてだいぶながく失神していたものと思いますが、気がついてみたらまだ出血していましたから、ハンカチの端で手首をしばって、板ぎれで締めつけました。」
「それはよろしかった。外科医も及ばぬ処置でした。」
〜中略〜
 傷口を海綿で洗いきよめ、整頓してからガーゼをあてがって石炭酸消毒の繃帯をした。患者は痛いともいわずに、じっと仰向いていたが、さすがにたびたび唇を噛んでいた。

技師の拇指:1892年3月 ストランド誌発表
1889年9月7-8日の事件(ベアリング=グールドによる)

石炭酸による消毒は1860年代にイギリスの外科医リスターによって始められました。その後、感染の原因が細菌であることが証明され消毒の概念は爆発的に広まったそうですから、ドイルが「技師の拇指」を執筆する1890年代には“傷は消毒”が常識となっていたように思います。

で、気になるのはワトスン君、傷を洗浄した後で消毒した包帯を巻いています。出血が止まっていれば包帯だけで良いのか、やや気になりますが、とにかく創傷面の消毒はしていません。

“いや石炭酸を海綿に含ませていたのだ”という鋭い意見が当然考えられますが、私の妄想が終わってしまうので、ナシです。

ちなみに、依頼人である水力技師ハザリ氏は、応急処置として動脈閉鎖による止血をしたようですが、普通の傷は傷口を直接圧迫止血すべきで、下手に心臓に近い方を縛ると、かえって出血がひどくなるそうです。

まあ指一本無くなった場合はどうなんでしょうかね。圧迫止血で止まるのかどうか。

硫酸で腐蝕した皮膚を治療

もう一つ、ワトスンが顔に硫酸をかけられた悪党を治療します。

「水!水をくれ!助けてくれ、水だ!」
 私はサイド・テーブルのうえにあった水差しをつかんで駆けよった。
〜中略〜
顔中を硫酸が腐蝕して、耳やあごからポタポタとたれているのである。一方の眼はもう白くうつろになって、もう一つのほうは赤くただれていた。
〜中略〜
 私は顔に油をぬり、皮のむけたところへは脱脂綿をあてがって、モルヒネの注射を打ってやった。

高名の依頼人:1925年2・3月 ストランド誌発表
1902年9月3-16日の事件(ベアリング=グールドによる)

油と聞くと、私などは“馬油かも”などと思ってしまいますが、残念なことに何の油かは書いてありません。脱脂綿が創傷面にくっついて困らないのかとも思いますが、多分、油を塗ってあるので付かないのでしょう。

この場面で気になるのは、20世紀に入ってからの作品なのに石炭酸が出てこないということです。傷口を水で洗浄した後に、包帯ではなく油を塗っています。創傷面の乾燥を極力防ぐ、一種の湿潤療法ですね。

火傷に油を塗るというのは18世紀頃からあった治療法なので、ワトスン君がこの方法で治療しても不思議ではありませんが、とっさに水差しを掴むあたりが今ひとつ理解できません。

今なら当然のことですが、酸による外傷を治療する時は水で洗い流す、というコンセンサスが当時あったのだろうか。

“この時は外出先での治療だったので、ワトスンは石炭酸を持ち合わせていなかった”あるいは“ドイルが消毒の描写を省略したのだ”というごく当然の考えは無視します。話をこじつけらんないし。

19世紀ヨーロッパの外傷治療

ワトスンによる二つの治療例で共通するのは傷口の洗浄ですが、19世紀末〜20世紀初頭のヨーロッパでは、たとえ予備的な措置であっても創傷面の洗浄が行われていたのかどうか。

調べた限りでは、19世紀中頃のヨーロッパは病理学の権威ウィルヒョーによる“傷が化膿するのは、傷が治るために必要な現象である”という考え方が一般的だったようで、消毒によって産褥熱を激減させたゼンメルワイスが1861年に上梓した『産褥熱の病因、概念、及び予防法』は、当時の医学会でことごとく否定されました。

化膿しないと治癒が遅れるわけですから、この頃は傷口は洗わなかったんじゃないでしょうかね。

リスターが石炭酸消毒法を確立したのが1867年。コッホが炭疽の原因が炭疽菌であることを証明したのが1876年。同じくコッホが結核菌を発見して人間においても細菌が病原体であることを証明したのが1882年。

1890年頃になれば、さすがに傷が化膿しているのはまずいってことになって、とりあえず膿は洗い流しておこう、みたいな雰囲気になってもおかしくはないような気がしますが、水なんかじゃバイ菌を殺せっこないからやっぱり最初から消毒、ですかね。

この辺の事情は、専門書に詳しく書いてあるのかも知れませんが、門外漢にはさっぱり見当がつきません。後で図書館に行ってみますか・・・。

ワトスン君の腕前

さてと、妄想全開。

ワトスンは1880年頃にはアフガン戦争に軍医として従軍していました。

正しい医学理論をワトスンが知っていたとしても、論文通りに実践できない場合もあったでしょうし、満足な道具もない状況で理にかなった治療をしようとすれば、理論を現場に応用できる能力が問われるでしょう。

戦場ですから消毒薬が無い場合もあったでしょうし、とにかく現場にあるものでなんとかしていたはずです。消毒できなくても水洗いによって何故か傷は化膿せずに治るという事実を、戦場で何度も体験していたかもしれません。

戦場から戻ってからのワトスンはホームズと行動を共にし、さまざまな事件で被害にあった人々を治療する一方で、医学雑誌や論文にも目を通し、医学の勉強も怠りませんでした。医師としてのワトスンに対しては、ホームズも信頼を寄せていたようです。

多分ワトスンは石炭酸消毒の理論は知っていたはずですし、洗浄によって傷の化膿を防げる事実も経験則として持っていたんじゃないでしょうか。

火傷の治療に石炭酸を使えば患者に苦痛を与えることも分かっていたでしょうから“痛みを与える薬はおかしいんじゃないか”と消毒に対して無意識のうちに警戒心を感じていたのかも知れません。

理論的に消毒を否定できなかったとしても、ワトスンは悪党に対してさえ、痛みを与えることを避けようとします。彼自身のバランス感覚で、患者にとって最良の治療法を使い分けていた、とも考えられますが、その感覚は彼の経験と知識、知性、医者としての良心に裏付けられていたはずです。

ついでに・・・

というわけで、ドクター・ワトスンは理論と経験を兼ね備えた名医であったと、証明することに成功いたしました。(←馬鹿過ぎ)

しかし、実際どうだったんでしょうね。19世紀に傷口洗ってたの?

参考リンク
新しい創傷治療:出血の止め方
人生2倍楽しい波乗りLIFE:出血の止め方
BD:〜無菌外科手術の開拓者 ジョセフ・リスター〜
新しい創傷治療:外科の夜明け

文中引用は、延原謙訳 新潮文庫版より